●現在のイランができるまで
現在のイラン(正式名称はイラン・イスラム教和国)は、1979年にイスラム法学者のホメイニーが、当時近代化・西洋化を進めていたパフラヴィー王朝を倒して、イスラム教シーア派原理主義を中心とする政治体制を整えたことによって成立した。そしてこの事件をイラン・イスラム革命と呼んでいる。もともとこの革命は、西欧化の強引な改革を行ってきた国王に対する不満がもとで起こったものであったが、皮肉なことにそれに取って変わった伝統的なイスラム原理主義によって、文化や思想面で抑圧される不自由も生じることになった。なお、当時は親米政権だったが、現在は世界でも随一の反米政権でもある。
●革命後のさまざまな規制
服装に関する規制が厳しいことは有名で、女性は肌や髪の毛、体の線を隠す服装が義務付けられており、男性も短パンなど過度に露出する服装は禁止されている。これは外国人といえどもある程度適用され、違反者には鞭打ち、罰金、投獄の刑が科される可能性がある。理由は肌の露出が異性を惑わすからとされている。また、男女が外で触れあわないようにという考え方はこれ以外にも、バスで一緒に座ることの禁止、小学校から高校までは男女別学、チャドルを着けない男女が親しく歓談することの禁止など多項目に及んでいる。また女性の場合、比較的保守的な思想の持ち主だとチャドル(全身をすっぽり覆うような民族衣装)を着用し、やや西洋的な考えの持ち主の場合はヘジャブ(髪を隠すベール)のみ着用する傾向にあるようだ。ちなみに、男性がひげを伸ばすことは、望ましいことだとされている。 |