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「オフサイド・ガールズ」についてのトリビア
イランの歴史と規制について

●イランはアラブの国ではない?

よく誤解している人も多いがイランはアラブ系の国ではない。アラブ人とは主にアラビア半島から周辺に進出しアラビア語を母語としている人々をさす。これに対し、イランはペルシャ文明発祥の地であり母語はペルシャ語である。このあたりややこしいのだが、いずれもイスラム教を国教にしながら、イランでは多数派のスンニ派ではなく、少数派のシーア派を国教としている。このシーア派を国教としているのは世界でイランだけ、つまり中東では唯一宗教の異なる国でもある。そしてこの宗教の違いによる周辺諸国との歴史的対立こそが、後のイラン・イラク戦争にも影響している(ちなみに他の中東の非アラブ国はトルコ・アフガニスタン・イスラエル)。また、イラン高原は古くから交通の要衝であり多彩な民族が入り込んできたため、今日のイランは他民族国家(共和国)である。

●現在のイランができるまで

現在のイラン(正式名称はイラン・イスラム教和国)は、1979年にイスラム法学者のホメイニーが、当時近代化・西洋化を進めていたパフラヴィー王朝を倒して、イスラム教シーア派原理主義を中心とする政治体制を整えたことによって成立した。そしてこの事件をイラン・イスラム革命と呼んでいる。もともとこの革命は、西欧化の強引な改革を行ってきた国王に対する不満がもとで起こったものであったが、皮肉なことにそれに取って変わった伝統的なイスラム原理主義によって、文化や思想面で抑圧される不自由も生じることになった。なお、当時は親米政権だったが、現在は世界でも随一の反米政権でもある。

●革命後のさまざまな規制

服装に関する規制が厳しいことは有名で、女性は肌や髪の毛、体の線を隠す服装が義務付けられており、男性も短パンなど過度に露出する服装は禁止されている。これは外国人といえどもある程度適用され、違反者には鞭打ち、罰金、投獄の刑が科される可能性がある。理由は肌の露出が異性を惑わすからとされている。また、男女が外で触れあわないようにという考え方はこれ以外にも、バスで一緒に座ることの禁止、小学校から高校までは男女別学、チャドルを着けない男女が親しく歓談することの禁止など多項目に及んでいる。また女性の場合、比較的保守的な思想の持ち主だとチャドル(全身をすっぽり覆うような民族衣装)を着用し、やや西洋的な考えの持ち主の場合はヘジャブ(髪を隠すベール)のみ着用する傾向にあるようだ。ちなみに、男性がひげを伸ばすことは、望ましいことだとされている。

 

「イスラム革命と女性たちの生き方」を読む

「テヘランでロリータを読む」
(アーザル・ナフィーシー/市川恵里 訳、2006年白水社)
イスラム革命後のイラン。弾圧のため職を失った女性教授は、教え子たちと密かに禁じられた小説を読む読書会をひらく。ナボコフ、ジェイムズ、オースティン…革命直後の全体主義の恐怖の中、読書と魂の自由を求めた衝撃の回想録。全米で150万部を記録する大ベストセラーとなる。
   
「ペルセポリスI‐イランの少女マルジ」
「ペルセポリスII‐マルジ、故郷に帰る」

(マルジャン・サトラピ/園田恵子 訳、2005年バジリコ)
イスラム革命、イラン・イラク戦争…イラン国内の劇的な変化を社会風刺とユーモアを交えて描き、仏ではカトリーヌ・ドヌーヴなどが声優として映画化もされた傑作コミック。テレビやニュースではわからない生の感覚が感じ取ることができる資料としても貴重な一作
   


サッカーと女性の関係

●女性のスタジアム入場について

原則として法律で禁じられているが、ドイツW杯前には、日本戦など数試合で少数のファンやサポーターの入場が特例として認められた。この決定をしたのは05年に大統領になったアフマディネジャド大統領で、本来保守強行派であり対米批判や核開発計画の支持者でもある同大統領だが、女性の権利問題については比較的ゆるやかな立場を取っている。06年4月には女性もスタジアムで観戦できるようにすると公式に述べたものの、猛烈な批判を受け、最高指導者のハメネイ師からも否定されてしまう。特に最近イランでは、女性だけでなく男性の髪型や眉毛の形にまで取り締まりが及んでおり、イスラム教的価値観を守ろうとする考え方は庶民の中でも根強く、法律が改正されるにはまだまだ時間がかかりそうだ。

 

女子サッカーの試合の様子

観客はすべて女性、選手は試合中もヘジャブ(スカーフ)を着用しなくてはならない。2006年のアジア最終予選(日本戦)では、特例として会場に入ることを許された女性サポーターも見かけられた。