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1960年イラン生まれ。テヘランの映画テレビ大学で演出を学んだ後、テレビ用の短編・長編を手がけ、アッバス・キアロスタミ監督の『オリーブの林をぬけて』(94)で助監督をつとめる。長編デビュー作『白い風船』(95)がカンヌ国際映画祭カメラドール賞、東京国際映画祭ヤングシネマ・東京ゴールド賞などを受賞し、一躍世界的な注目を集める。『鏡』(97)を経て、3作目の『チャドルと生きる』(00)はベネチア国際映画祭金獅子賞などを受賞したほか、第1回東京フィルメックス特別招待作品として上映された。 |
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実際の出来事から生まれた企画
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98年のフランスW杯で、イランはオーストラリアとのプレーオフを制し初出場しました。ふだんイランでは女性がスポーツ観戦をすることは法律で禁止されていますが、その時は女性でも選手たちを歓迎することが認められ、5千人の女性がスタジアムの中に入ることを許されました。それが契機で、「そもそもどうして女性のスポーツ観戦が禁止されているのか?」という議論が起こったのです。あるスポーツジャーナリストの記事によれば、古代ギリシャ時代にも似たようなケースがあり、女性は闘技場で戦う息子の姿を見ることができず、男装しなくてはならなかったという記述もあります。 |
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イランの法律
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イランでは、法律で許可されていることと禁止されていることの境界線がいつも明確ではないという問題があります。法律を取り締まる側にも自分たちに都合の良い解釈を持ち込む人間がいるのです。警察は人々に法を守らせなくてはなりませんが、恣意的な解釈で法律を適用するのは逆効果です。 |
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徴兵制
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イランでは兵役は義務制です。兵士たちはごく普通の家庭で育っているので、普通の人たちと共通の願いや望みを持っています。そのため、彼ら兵士たちは法律を守らせるために存在していますが、自分達がしていることに若干のためらいも持っています。一方で、より伝統的な価値観を持った年配の人々が存在しますが、価値観の全く異なるこの2つの世代間では、たびたび意見の相違があります。 |
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ドキュメンタリー的な手法
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私は映画にフィクションとドキュメンタリーの曖昧さを出したいと考えています。ドキュメンタリー的な手法を使うことで、観客にリアルな出来事が起こっているのだと感じさせたいのです。物語の舞台も出来事もリアルであれば、登場人物やエキストラも実際にそこにいるはずの人を使います。だから私はあえてプロの役者を使いません。 |
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撮影困難だった題材
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イランでサッカーの試合の撮影許可をもらうことは簡単ですが、サッカー場で少女たちを撮影するとなれば話は全く別です。確実に何かの問題が起こる事は分かっていたので、私たちは慎重に撮影を進め、マスコミを避けようとしました。それでも撮影終了の5日前に、この映画のことが記事になってしまい、それを見た軍隊はすぐに撮影を中止するよう命令を出しました。彼らは撮影済みの映像を渡すよう命令しましたが、残っているのはミニバスの中の数シーンだけだったので、軍隊の手の届かない、テヘランから60キロほど離れたところで撮影をすることができました。 |
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イラン国内での公開
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私の作品は映画祭でこそ多くの国で上映されていますが、国内ではここのところ公開されていません。まあ、悲観的にならず待つしかないですね。この映画にはユーモアもありますし、いつか公開するチャンスがあると思っています。この作品が公開されれば、女性がスタジアムに入ることについて再び議論が起こることでしょう。 ※監督の作品は政治的な異議申し立てを含んだ作品が多いため、本作を含め前作も前々作も国内で公開されていない。 |
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エンディングの曲について |
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映画の最後に使用されている曲は、ある種のイラン賛歌です。この歌は、60年前に西洋人たちがイランに侵攻し、人々を虐待して苦しめていたことを見咎めた詩人が書いたもので、そうしたイランの苦難の歴史をとても嘆いて詩を書いたとのことです。またこれは国家についての歌ではなく、国民についての歌です(※実際に国歌ではない)。それで私たちイラン人は、年月を重ねるごとにこの歌を愛してきたのです。ちなみに映画で使われた曲のバージョンは、(少女たちの勇気を称える意味でも)私が最も勇壮だと思えるものを選んでみました。 |
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