——写真をやっていらした監督が、映画を始めたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

「じつはもともと映画をやりたいと思っていたのですが、結局写真から始めることになったのです。
というのも、写真の世界の方が入りやすいからです。それに比べて映画はまず映画学校に行き、基礎を学んだりと、もっと道程が決められています。わたしはまず兄のカメラを借りて写真を撮り始めました。でもそのあいだも映画のことがずっとどこか頭のなかにあったのです」


——写真家としてキャリアを重ねて来たドゥパルドン監督にとって、映画(動画)とスチール(静止画)の違いはどのようなものですか。

「優れた写真家というのは必ずしも優れた映画監督ではありません。写真と映画は一見とても近いように思えますが、似て非なるものです。映画と写真に流れる時間は異なるものだからです。もし写真を撮るようにムービー・カメラを使うなら、結果は惨憺たるものでしょう。映画は写真と比べて物語、意味を持たなければなりません」
「映画を始めた当時はよく、お前はどっちがやりたいのかと訊かれたものですが、現代では両方やることは当たり前になっていますね。
わたしは現在3つのエージェンシーに入っていて、映画と写真の割合はちょうど半々ぐらいです。でも写真家の知り合いは大勢いますが、映画監督は少ない。もう亡くなってしまったジャン・ルーシュ、フレデリック・ワイズマン、何人かのフィクションの監督……。ですから自分の家族はいまだに写真家たちだと思っています」


——あなたは固定カメラで長回しを多用しますが、その理由は何ですか。

「彼らが喋る瞬間を待っているからです。たとえば亡くなったマルセル・プリヴァは、わたしが出会った中でももっともガードの固い人物でした。当初テレビ局は2年間彼を追って、そのあいだに彼の人生のすべてを話してもらうことを望んでいました。
でもそんなことが無理なのは、わたしにはわかっていました。彼らが喋る瞬間を予知することは、写真では学べないことでした。映画を撮るようになって自然に学んだのです。たぶんわたしの性格が学ばせたのかもしれません。わたしはしばしば砂漠や田舎に行って撮影をしましたが、そういう場所では絵になるようなものはないからです。そんなとき、そこで写すべきものを自分で発見しなければなりません。
たとえばわたしは砂丘の写真をよく撮っていた植田正治の写真が好きですが、砂丘は我々に見るべきものを教えてくれます。彼は、『写真のなかでもっとも大切なのは背景、デコールだ』と語っていましたが、これはとても面白い意見だと思います」 「田舎の人たちを撮影するとき、もっとも難しいことはまず彼らの信頼を得るということです。何年もかけてその場所に通わなければなりません。
彼らは写真も、写真に撮られるのも好きじゃない。テレビさえ見ない。そんな彼らの信頼を得るためには、じっくりと時間をかけ、あせって事を進めないことです。彼らから『会えてうれしいよ』と言われるようにならなければならないのです。彼らの生活にこちらが侵入するような場合は好かれません。でも一度受け入れられたら、その後も彼らはあなたのことを歓待してくれるでしょう」


——それにしても、なぜそこまで農民に興味を持ったのでしょう? 日本の農民たちもいま同じような状況にいますが、現代のグローバリズムから切り捨てられて行く彼らの存在を訴えたかったのですか。

「そうですね、たしかに当初のわたしの興味は、農民たち自身ではなく、農家は生き残れるのかという社会的なテーマにありました。日本の状況はわたしにはよくわからないのですが、農家は今後も続くのかそれとも都会人にとってのセカンドハウスのような場所になってしまうのか、という点に興味があったのです。
それで当初は一本の映画を作るだけのつもりでいました。十年かけて一本の映画を撮ればいいと。でも十年は長すぎるとテレビ局から反対された。でもわたしはそれぐらいの時をかけてこそ農家の変化がわかると思ったのです。1900年には何千という農家がありましたが、近年はそれが減る一方でした。しかし、最近は特に女性が農業に興味を示していることなどもあり、少し状況は変わって来ています。60年代は女性が街に行ってしまって、農家は人出が減ってしまったものでした。
たとえば映画に出て来るポール・アルゴーはいまだ独身ですが、彼の世代は女性がいなくなってしまったからです。農家では、15キロ以内に女性がいなかったらもう結婚できないのです。
街に探しに行ったりすることはありませんから。わたしの両親は農民だったので、もしわたしが農業を継いでいたら、いまごろはポール・アルゴのようになっていたと思いますよ。彼は『奥さんがいたら皿洗いには重宝するね』なんて言っていますが(笑)、夜は孤独だと思います。
わたしが見かねて彼にテレビをあげたのです。かつてポールに両親のことを訊いたら、彼は突然泣き出しました。『パパは死に、ママも死んだ』と。その短い一言は驚くべきものでした。彼はいつふたりが死んだのかすら、もうはっきり覚えていませんでした。時間の観念がなくなっているのです。ポールのような人は現在、そう多くはいませんが、彼らはとても孤独でいながら芯が強く、心惹かれる存在です。ですから、彼らと長く付き合い続けるうちに、わたし自身どんどん農民という存在に魅せられて行ったのです」


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