DESERT FLOWER┃デザートフラワー
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ピーター・ヘルマン/製作 (Director & Scriptwriter)

世界中が共鳴した衝撃と感動のリアル・シンデレラストーリー

プロデューサーとして本作『DESERT FLOWER』 を企画したとき、他のどの作品よりも困難を極めた。 なぜなら、3つの異なる映画を1つに統合するようなものだったからだ。 ワリス・ディリーのストーリーは、ソマリアの貧しい遊牧民の少女が世界的トップモデルになるシンデレラ・ストーリーというだけではない。 アフリカの幼い少女がヨーロッパへ移住する話でもあり、とても勇敢な女性の武勇伝でもあるのだ。 有名になり成功を収めたワリス・ディリーは、女性性器切除(FGM)という残酷な伝統について率直に公の場で語った初めての人物となったのである。

本作は問題を提起し、変化を起こすことを狙いとした非常に感動的かつドラマチックなライフストーリーとなっている。
原作本はすでに、世界中の何百万人という読者の心を捉えてきている。

ワリスの自伝本「砂漠の女ディリー(原題:DESERT FLOWER)」は1999年にドイツで出版され、すぐにベストセラーとなった。 そのおよそ6カ月後に私はこの本を読んだのだが、その時は映画化権について問い合わせをしても無駄だろうと思った。 この本は最初にアメリカで出版されており、ベストセラー本の映画化権というのは通常、ドイツで出版される頃には売れてしまっているからだ。 実際、この本の映画化権はエルトン・ジョンが取得し、彼が所有する製作会社ロケット・ピクチャーで映画化の話が進んでいた。

だがロケット・ピクチャーとワリスの間で映画化の際に意見が分かれたため、2002年にこの本の映画化権が再度入手可能な状態になったのだ。 私は偶然そのことを聞きつけ、1年後、当時ロンドンに住んでいたワリスと会った。
しかし、最初から意気投合し、すべて意見が一致するという類の出会いではなかった。
ワリスは再び映画化権を渡すことに慎重になっていたのだ。 非常に私的な自伝を見知らぬ人の手にゆだねるにはとてつもない信頼が必要なわけで、彼女の気持ちも理解できた。 私たちは9カ月にわたって何度か会い、話をし、企画を立て、アイデアをふくらませ、そしてようやく2004年2月、契約書を交わすこととなった。

こうして「DESERT FLOWER」の映画化が現実のものとなったものの、主役であるワリスを演じる女優を決定するまでには非常に困難を極めた。 実際のライフストーリーを映画化し、成功させるには、他のどんなタイプの映画よりも主役を演じる俳優が重要だ。 本作の主役はワリス・ディリーであり、当然どのシーンにも登場する。そのため、映画を支えることのできる女優でなければならなかった。

東アフリカ人のようなルックスの有名女優は探し出せなかった。 その結果、知名度の低い女優か素人、むしろ新人を起用する必要があるということになった。 そこでロンドンのキャスティングエージェントに依頼して国際的なオーディションを始めたのだ。 ロンドン、パリ、ケニア、南アフリカ、ニューヨーク、ロサンゼルスで何百もの若い女性をカメラの前に立たせてテストを行ったのだが、 6カ月が経っても理想的な女性が現れない。私たちは不安になった―「主役の女優がいなければ…。」 ある晩遅く、シェリー・ホーマン(監督)から電話がきて「2枚目のDVDの4番、この子よ」と言われた。

シェリーの意見とは別に、私もまたキャスティング用のテープを見ていた時にリヤ・ケベデが気にかかっていた。 翌日、私たちは追加資料を受け取り、その時リヤがアメリカでは非常に有名なトップモデルでファッション業界ではスターであり、 さらにロバート・デ・ニーロの「グッド・シェパード」やアンドリュー・ニコルの「ロード・オブ・ウォー」に端役で出演したことがあるのを知った。 私たちはテスト撮影のために彼女を呼び寄せた。だが大きなスクリーンでテスト撮影した映像を確認する以前に、心は決まっていた。 リヤはすばらしい輝きを放ち、カメラの前で強力な存在感を示していたのだ。

リヤが主役に決まり、ようやくアフリカとヨーロッパで他の役のキャスティングを行うことができた。 人生で一度もカメラを見たことがない人もいるような、ほとんど素人で構成される印象的なアフリカの俳優陣から、 トップクラスのプロのイギリス人俳優まで、すばらしい俳優をさまざまに集めることができた。
サリー・ホーキンス、クレイグ・パーキンソン、ミーラ・サイアル、ティモシー・スポール、ジュリエット・スティーブンソンが セットで演技をしているところを見るのは楽しかった。 彼らは非常に相性が良く、まるで一つのグループとしてキャスティングされたかのようだった。

だが実際、彼らが出演を承諾した決め手となったのは、シェリーと個人的に話をしたこと、そしてもちろんこのワリスのストーリーだ。 今回の俳優たちは本当にこの映画に出演したいと思ってくれていた人ばかりだった。

灼熱のアフリカ・ジブチでの過酷な撮影を終えたあと少し休みをはさみ、5月20日からロンドンでの撮影が始まった。 6月初旬にはドイツでの撮影が始まり、7月の終わりにはニューヨークで撮影を行った。 ロンドン、ニューヨークでは屋外のシーンはすべて実際の場所で撮影するという考えだったのだ。 ロンドンとニューヨークの設定の屋内シーンはドイツのスタジオか、改装を施したケルン、ベルリン、ミュンヘンの撮影現場で撮った。 4カ国、3大陸、ドイツの3都市にまたがって撮影するというのは非常に複雑な作業となった。 それぞれの国にそれぞれの撮影文化、特徴、伝統があり、それが混乱を引き起こし、ミスへつながり、時間がかかった。 撮影が始まる前は、この複雑なプランが実際に機能するとは誰も思っていなかったが、52日間に及んだ撮影の最終日はニューヨークの7月21日で、 前年の11月に計画を立てた際に決めた通りの日だった。これはまさに、制作部のすばらしい功績である。

この作品において、衣装はとても重要な要素の一つだ。 そこでデザイナーには、シェリー・ホーマンとすでに何度か仕事をしたことがあるガブリエル・ビンダー (『善き人のためのソナタ』)に担当してもらうことで決定した。しかし1つ問題があった。 私たちが映画で伝えようとしているワリスのストーリーは90年代に設定されているが、 “歴史的視点”の映画は作りたくなかったということ。なぜなら、不法移民や女性性器切除(FGM)は、 年代とは関係なく現在でも進行中の問題だからである。だからこそ私たちは現在に焦点を置き、 時代を超えたストーリーであるかのように撮影することにしたのだ。 これが衣装デザインにおいて重大な結果をもたらした。 時代的違いが最も顕著に表れるのが衣装だからだ。しかしおもしろいことに、すばらしい衣装というのは、 歴史的に正確である必要がないことがわかった。それは、観客が自分たちの現在の観点とセンスで解釈をするからである。

「DESERT FLOWER」は私にとってシェリー・ホーマンとの初のコラボレーションだ。 脚本を作る際にともに過ごした3年間で、私たちはお互いを知り、高く評価し合うようになっていた。 脚本作業が基礎を築くとはいっても、その段階ではすべて理論上のことである。 脚本には誰がどのシーンに登場し、どの場所の設定で、どの俳優が何を言うかを書き記されてはいるが、 それを読んだ人は皆、それぞれ異なるものを思い描き、異なる考えやビジョンを膨らませる。 それぞれのシーンを作るのは監督であり、話がどのように展開し進むのか、そこには魂がこもっているか、 そして周囲のわずらわしさもすべて忘れてしまうくらい観客を映画に引き込むことができるのか、それを決めるのもまた監督なのである。

シェリー・ホーマンが俳優たちと連携して仕事をする姿を見るのは非常に印象的だった。 例えば、ルシンダが下宿屋へ入ってくるシーンのブロッキング・リハーサルでは、 このシーンをどのように演じるべきかという考えをそれぞれの俳優が持っていた。 サリー・ホーキンス、リヤ・ケベデ、クレイグ・パーキンソン、ミーラ・サイアルはそれぞれ別のことを考えていたのだ 。シェリーがすべての俳優の位置を決め、方向性を示し、誰がいつ何を言うかを決める。技術的な基本の指示だと思うだろうが、 しばらくすると何かが起こり始める。俳優たちが心を開き、魅力を開花させ、そして気分良く演じ始めるのだ。 その場が安心感と自信で満ちあふれ、良いものをさらに良くするようなアイデアが出始める。すると突然、そのシーンは別物へと変化するのだ。 脚本でそのシーンを熟知しているにも関わらず、セット上での展開に驚かされる。本物の映画が出来あがっていくのを見るのは純粋な喜びである。 それこそが目指すべきものであり、最終的に観客の心を動かすことになるのだ。
それは、単なる技術以上のものであり、熟練した技と才能である。

リヤ・ケベデは撮影中に行われたインタビューでこう述べていた。 「映画を観に行った人が映画館を出る時に悲しいと同時に幸せだと感じ、それぞれ何かを変えたいという気持ちになったならうれしい。」

それこそまさに、この映画に関わったすべての者が望むことである。